「覚悟」とはなにか? 〜私の「じぶんらしく」生きる道〜

こんにちは。合同会社じぶんらしくの代表社員の寺嶋です。

最近、アーティストの友人との会話のなかで、「覚悟」という言葉を聞く機会がありました。私のアーティストとしての表現や、その見せ方を工夫していることについて話しているなかで、彼女が「覚悟していきたい」と語ったのです。

その言葉が、なぜか私の心に強く引っかかったのを覚えています。これまでの自分の活動を振り返ってみると、「覚悟」というものを意識したことがなかったな、と。でも、なぜかその言葉が気になって仕方がないのです。今日は、そんな私のモヤモヤと、そこから見えてきた「覚悟」の新しい形についてお話ししたいと思います。

私のキャリアパスと「じぶんらしく」の原点

私はこれまで、本当にさまざまな活動をしてきました。デザイナー、コピーライター、ディレクター、プロモーター、ボディワーカー、そしてアーティスト。数え上げればキリがないほど、多岐にわたるキャリアを歩んできたのです。そして、それらの活動すべてを、細々とではありますが、今も続けています。

なぜ、こんなにもいろいろなことをしてきたのか? それは、シンプルに「自分の興味の赴くままに」生きてきた結果なのです。言い換えれば、「じぶんらしく生きる以外に生きられない性分」だから、という一言に尽きます。特定のなにかを強く「決めて」きたというよりも、自然と惹かれるもの、心が動く方向へと進んできた、という感覚なのです。

現在、私は「人に喜んでもらえるように、自分の才能や能力を使う」ということを強く意識して活動しています。その想いを形にするために、合同会社じぶんらしくを立ち上げました。この会社を通して、「じぶんらしく生きることに価値が生まれる社会」を作りたい。それが、私の揺るぎない願いであり、目指す世界なのです。

例えば、合同会社じぶんらしくが開催している「ドラムでダンス部」や「らくがきラボ」などのワークショップ、「みんnanoライブ」やライブペイント、「ゆるりつながるカフェ」といったイベントは、すべて「私がやりたい」「こういうのがあると面白い」という、私の内なる声から始まりました。

実際に開催してみると、私と同じように表現することの喜びを体感してくれる人が大勢いるのです。自分自身の「喜び」を探求する行動が、巡り巡って人々の「喜び」につながっている。これこそが、「じぶんらしく」生きることが価値を生むという、私の考えを裏付ける、かけがえのない事例だと感じています。

「覚悟」の新しい解釈:私の「決めない覚悟」

友人から出た「覚悟」という言葉を聞いたとき、正直なところ、少し窮屈さを感じました。「覚悟」というと、何かを強く決意し、他のすべてを捨てるような、一点集中型のイメージがあったからです。私自身はなにかを「決める」と、その瞬間に自由が失われるような感覚があり、どこかブレーキがかかってしまうのです。だから、特定のなにかを強く「決める」ということを、意図的に避けてきたのかもしれません。自然と「そうなる」ことに身を任せてきた、というのが正直な気持ちなのです。

しかし、今回「覚悟」について深く考えるなかで、あることに気づきました。私のこの「決めない」という姿勢、そして「じぶんらしく生きる以外に生きられない」という性分そのものが、実は私にとっての「覚悟」なのではないかと。

もし、私の「覚悟」を一言で表現するなら、それは「本質に生きる」ということだと感じているのです。

これは、外からの期待や社会の常識に流されることなく、自分自身の内側から湧き上がる声、つまり「本質」に常に忠実であることなのです。無理に型にはめたり、特定の道に固定したりせず、自身の本質が導くままに、柔軟に歩む姿勢。そして、興味の赴くままに様々な分野を探求し、それらをすべて私というフィルターを通して繋げていくこと。これこそが、私にとっての「覚悟」なのだと、今は確信しています。

「決めない覚悟」がもたらす表現の力

友人の「覚悟」という言葉から、私は「覚悟がある方が、より強い表現ができるのではないか」と感じたのです。しかし、それは必ずしも「なにかを明確に決断する」という形に限ったことではないと、私は思うのです。

実は、友人の「見せ方や届け方、どんなインパクトを届けたいか、それらに焦点を当ててしっかり覚悟していきたい」という言葉は、私のこれまでの活動を振り返ると、すでに私自身が実践してきたことだと気づかされました。

私の「決めない覚悟」、「本質に生きる覚悟」は、まさに私の表現に独自の力と深みを与えてくれています。

まず、「じぶんらしく」という揺るぎない軸。私の多様な表現活動は、一見バラバラに見えるかもしれません。しかし、その根底には常に「自分らしくあること」という一貫したテーマが流れているのです。この軸があるからこそ、どの分野の表現も私自身の真実を映し出し、観る人に説得力をもって響くのだと感じています。

そして、真実味と純粋さ。私の表現は、計算された「決断」から生まれるのではなく、内側から自然に湧き上がるものなのです。そこに作為がなく、純粋で、だからこそ観る人の心に深く、強く響く「真実味」が宿るのではないでしょうか。

さらに、無限の可能性と自由。「決めない」ことで、私は常に新しい表現の扉を開き続けています。特定の型にはまらないことで、固定観念にとらわれず、常に新しい視点や手法を探求し、表現の幅を広げることができるのです。この自由こそが、私の創造性の源泉であり、私の表現をより豊かで力強いものにしています。

私がこれまで、デザイナーやプロモーター、ディレクターといった役割を経験し、そして現在「合同会社じぶんらしく」でさまざまなワークショップやイベントを企画・開催しているのは、まさに「表現をどう届けるか」「どんなインパクトを届けるか」という、友人が語った「届け方」への覚悟を、無意識のうちに実践してきた結果なのだと、今では理解できるのです。

あなたにとっての「覚悟」とは?

今回、「覚悟」という言葉について深く考え、私なりの答えを見つけることができました。それは、だれかから与えられるものではなく、私自身の内側から自然と湧き出る、最も強固で揺るぎない「本質に生きる」覚悟なのです。そしてその覚悟は、私の「表現を届ける」という活動の核にもなっていると気づきました。

「覚悟」の形は、人それぞれ。それは、目標に向かって真っ直ぐ進む強い決意かもしれませんし、私のように「じぶんらしく」生きるという、根源的な「性分」かもしれません。

このブログを読んでくださっているあなたにとって、「覚悟」とは一体どんなものでしょうか? もしよろしければ、ぜひあなたの「覚悟」の形を、あなた自身の言葉で見つけてみてください。

合同会社じぶんらしくは、これからも「じぶんらしく」生きるすべての人が、そのユニークな「覚悟」と共に輝ける社会を創るために、活動を続けてまいります。

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