「じぶんらしさ」の羅針盤は「感情」にある
こんにちは。合同会社じぶんらしく藤嶋ひじりです。
前回のブログでは「じぶんらしく生きる」ことについて、内面と外面のグラデーション、他人軸と自分軸の視点、そして日本社会と教育の側面から考察しました。今回は、その続きとして「じぶんらしさ」を深く理解するために欠かせない「感情」について掘り下げていきたいと思います。
「感情」は「じぶんらしさ」そのもの
じぶんらしさとは……おそらく自分「ハート」で感じたことの集合体ではないかと思うのです。
「え、どういうこと?」「どうして?」「なんかもやっとする」「ときめく!」「うれしい」「なんだかわくわくする」「悲しい」「イラっとする」といった「感情」が、私たちの「本質」とつながっているのではないでしょうか。
私たちは感情を「みっともないもの」「感情を出す人は幼い」「感情的な人は低俗である」などと「ないもの」にしようとしがちです。それが美学のように捉えられることもあります。
しかし、そもそも「感情」に「いい」「悪い」とラベル付けしているのは人間です。感情自体は「悪」ではありません。むしろ、ネガティブと言われる感情をモチベーションにして「成功」してきた人もたくさんいます。「どう使うか」によって、それはいいものにも悪いものにもなり得るのではないでしょうか。
悪いものだと思っているのは、おそらくそれをそのまま「目の前の相手にぶつける」からであって、「感情」そのものが悪いものではないと、私は考えます。
「感情」は自然に湧き起こる「エネルギー」
「感情」というものは「エネルギー」であり、「心の奥底」から自然に湧き上がってくるものです。地球の「マグマ」のようなものと捉えるほうがわかりやすいでしょう。湧き起こる感情そのものはコントロールすべきものでも、コントロール可能なものでもありません。感情には、時に想像以上の膨大な威力があるからです。
大切なのは、その感情をどう扱うかです。溜まってきた感情エネルギーは、運動することや歌うことなどでエネルギーとして発散できます。心の病になる人はほぼ例外なく運動不足だという話を聞いたこともありますし、人は「感情」を身体に記憶して保存しているという説もあります。
要するに、「溜め込む」「抱え込む」ことによって、なんらかのきっかけで爆発する……つまり「ガス」や「マグマ溜まり」のようなものだと捉えてみましょう。感情は「火」のエレメントと捉えていいと思います。
「火」というものは、大きすぎると火事になったりして害をもたらしますが、ほどよく調整すると、食事やお風呂などに使って「よいもの」となり得るものです。「感情」も同じで、それをどう使うかが大切なのです。
喜怒哀楽、それらの感情を「感じる」のが自然なことであり、紛れもなく「自分の内側に沸き起こる自分らしさ」を表すものだと考えることができるのではないでしょうか。
内省が導く「本当のじぶん」との出会い
こうした「感情」を感じないようにしている人は、おそらく「内省」も苦手な人です。本当の悲しみに触れるのが怖いからでしょう。がんばって、人一倍努力して、かっこつけて生きてきたのに、どれだけがんばっても埋められない「孤独感」の正体が、実は「お母さんに甘えたかった!」「かわいがってもらいたかった!」なんてことだなんて気づきたくないのかもしれませんよね。それよりも、「親が悪かった」と言い続けるほうがずっとラクなはずです。
内側に目を向けることは、とても勇気の要ることです。それほど傷つかない程度の浅い部分での「反省」をしておいて、心の奥底に眠る本当の望みなんて知らないほうが楽だし、傷つくのはだれだって怖いものです。
だけど、この「苦しみ」や「苦手」は、実は「魔法アイテムへの扉」。そこに目を向けてみることで、まったく違う世界が広がっていたりします。
感情と向き合い「じぶん」の輪郭を知る
要するに、「じぶんらしさ」を知るのに「感情」を無視することはできません。
- どうして自分はこんなにも怒っているのだろうか。
- あの人のあの言葉が悲しかったのだな。
- それはなぜ?
こうして掘り下げていくことで、「じぶん」の輪郭が少しずつ見えてきます。奥底にいるのは、とっても甘えん坊で、とってもかわいくて、健気な、小さな自分なのかもしれません。
その小さな自分と出会うことができれば、そして、彼女(彼)を、自分で抱きしめてあげることができれば、「じぶん」は、どんどんいきいきと羽ばたいていけます。私自身も、そうして「歌いたいんだ!」と気づくことができました。
一度、そちらの世界で歩みを進め始めると、俯瞰しやすくなります。たとえば、「人を批判したくなる自分」にも気づきやすくなります。「あぁ、そんなことで人を責めたくなる自分がいるんだなぁ」と斜め後ろあたりから眺めている感じです。批判せずに眺めます。そのうちに、そういう自分が出てくるたびに「出たぁ! またあの自分が出てきたか」と見つめては、静かに去っていくのを感じていると、どんどん「自分を愛しく思う自分」の存在が大きくなっていき、そのうち、同じように「自分を大切に生きている人」と出会いやすくなるでしょう。
そうなると、どんどん世界観は変わっていくし、自分の味方が増えていくはずです。
次回の続編で、総括します。